「愛してる」なんて、理解不能です!

憧れの(?)スポンサー広告が出てから、もうひと月近く。
夏の名残りのツクツクボウシが、昨日も元気よく啼いていました。
早いなあ、今年ものこり3ヶ月。
ブログも更新してゆきたいですよ。



「彼女は先生(濡木痴夢男のこと)を愛しちゃってるからな」

もうずぅっと昔、20年以上も前の緊美研例会の最中、
縛られたモデル女性を指して、カメラマンが言いました。

自分の出番が終わって、
腕についた麻縄の痕に唇を寄せたり、匂いをかいだり、
内出血が酷くなるようにと、一生懸命その箇所を揉んだりしていたわたしは、
突然のその言葉に耳を疑うほど驚いて、思わず「ええっ!」と声を出していました。
「なんだ、悠理はまだ縄が足りない? もう一度縛ってやろうか」
ライトの中心にいる彼女の後ろの暗がりで、
亡霊のように、ぼんやりと輪郭を溶かしたせんちゃんが言いました。
せんちゃんの手の中には、彼女の背中に回された手首から伸びる縄尻があり、
それを梁に見立てた太い竹棒に括りつけます。
そのままゆらりと動くと彼女の正面に回り、俯いた顔にかかる長い髪を掴んで、
ライトの方へとその泣き顔を無理矢理むけてから、意地悪く言うのです。
「おおっ、もう泣いてるぞ。いい涙だなぁ、すごい縄酔いだ」
顔のすぐ近くで大きな声を出され、彼女は縛られた身体をよじり、
みんなに顔を見られないように、懸命に首を後ろにねじります。
半そでのセーラー服から伸びる白い腕、三つ編みにした髪には赤いリボンが結ばれています。

わたしはそんな様子をながめながら、
「かわいいなぁ、滅茶苦茶に泣かしてあげたいなぁ」
なんて思っていたかったのに、そんなぼんやりした頭に
「愛しちゃってる」の言葉はとても衝撃的で、まさに頭をガツンと殴られたようでした。

「え、だってせんちゃんて今いくつだっけ?」
わたしはむしろショタなので、父親以上の年長者に対して恋愛感情を持つことはありませんでした。
だから、そんな彼女の気持ちがまったく理解できず、ただただぼーっと見つめるだけ。
「実年齢なんて関係ないよ」
とカメラマンは言います。
それはわたしにもわかる。
観念の中では、実年齢はおろか対象の性別や外見、
あるいは人間であるかないかでさえも、どうでもいいことです。
当時わたしがすごく大好きで、縛られたいとか苛められたいとか、
そんなことを本気で思って妄想していた相手は、現実には会うことのない人でした。
そういう意味ならもちろんわかるし、素敵だな、とも思います。
でも彼女の場合は、現実の「生活」をせんちゃんとともにしたい、
つまり「結婚したい」という「愛してる」なのだそうで、
それは・・・それは・・・
いやっ、どう考えてもむりっ!

以前にも書いたかもしれませんが、
せんちゃんを思い出しては、「わたしの子どものようだった」と
思う時があるのです。
それは様々な意味合いがあるのかもしれませんが、
わたしはせんちゃんのわがままをとても大切にしていたし、
かわいいとも思ったし、叶えてあげたいと思っていました。
あんなふうに愚かな部分を曝け出して甘えられる相手は、
それほどいなかったと思うし(きっと、他の人はすぐに呆れて離れてしまうから)、
どんな暴言を吐いても、わたしが離れていくことはないと、
せんちゃんはわかっていたのだと思います。
「子どものよう」という意味では、わたしは誰よりもせんちゃんを愛していたかもしれません。

……だからと言って、レンアイ対象にはならないけど。



例会の中で、縛られた北野冬子さんを撮るわたしです。
モデルを跨いで、あるいはモデルの体に腰を下ろして、
近距離から撮るのがゾクゾクするほど好きでした。
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冬子さんの乳首を麻紐で縛るせんちゃん。
いたずらっ子のよう。
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[ 2015/10/04 20:31 ] 濡木痴夢男 | TB(-) | CM(-)

くそじじい最強伝説

どなたかがFacebookでシェアしていたので、なんとなくやってみました。
EQテスト。 試してみたい方はどうぞ⇒EQ
IQではなくEQです。心の知能指数というやつです。
標準値や平均値はいくつくらいなのか確認していませんが、
昔、この言葉が流行った頃(流行ったわけではないのかも)、
例会の時やビデオの撮影で濡木痴夢男と会うたびに思っていました。
「心の知能指数・・・? せんちゃんはゼッタイに低いだろうなぁ」と。
濡木痴夢男という人を表す言葉は様々ですが、
きっと多くの人たちの心に、苦いものを残していったと思うのです。
せんちゃんは、我が儘で自分勝手で狡くてせこい。
でも、そんなところもすべて含めて、わたしにはとても可愛い人でした。

せる1

緊美研とはまったく関係のない場所で、どこかの編集者と初めてお目にかかった時、
わたしは「緊美研に遊びに来て下さいね」と言います。
たいていの方にはそう言っていました。
でも、大体七割くらいの方が、やんわりと、あるいは嫌悪感を顕にして言うのです。
「いや・・・濡木さんはちょっと・・・」
どこかの現場でせんちゃんと一緒になり、大勢のスタッフの前で罵倒されたり、
馬鹿にされたり、無視されたりと、通常の現場で怒られるのとは全く異質な雰囲気で
イジワルをされたことがある人たちなんですね。
わたしは、緊美研の中でもそんな風に嫌な思いをさせられた人を
たくさん見てきました。
自分から、モデルを縛ってみなさいと言って誘ったくせに、
当日、いざその場になってモデルがその人に好意的な態度を取ったりしようものなら、
「大体、君は女を縛ったことあるの? えっ? 麻縄を触ったことはあるの?
縛れるって言ったって、どうせ自由を奪った女にバイブ突っ込んだり浣腸したりするためでしよ?
そんなんじゃ、緊美研の会員たちは絶対に認めてくれないからね。
ねえ、○○さん。ねえ、悠理」
あっ・・・いや・・・わたしは何も知らないし、せんちゃんが連れて来た人だし、
○○さんに振るのはもっと関係なくてひどいのでは……と、
現場のみんながいやーな気持ちになったことが何回あったか。
でも、不思議なことに、
わたしにとってはそんなこともせんちゃんの可愛いエピソードのひとつです。

せる2

本当に不思議な人です。
愛すべき世界一のくそじじい。
完全無欠の、無敵の因業じじい。
そんなことを思い出しては、せんちゃんと一緒に作り上げたビデオや写真、
緊美研通信のさまざまなページを懐かしく楽しんでいます。
死んでなお、こんなにもたくさんのことを思わせてくれるせんちゃんに感謝しつつ、
少し濡木痴夢男の思い出話なんかを書き出してみようと思います。

※写真は本文の内容とは無関係です。一枚目は釣りに行った時のもの。
 二枚目は切腹マニアの人たちと遊びで撮影したものです。


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[ 2015/05/19 05:37 ] 濡木痴夢男 | TB(-) | CM(-)

坂道 ひぐらし 水蜜桃

夏の終わり。
両側に高い樹が茂っているこの坂道は、地面から立ちのぼる蒸気があたりに漂い、
植物が吐き出す濃密な緑色の空気と混じりあって、酸素が薄く感じられます。
まだ陽が高いこの時間は、野鳥やセミの啼き聲が木立に反響して、
幾重にも重なり合って響きあい、途切れる隙もないシャワーのように降り注いできます。
その聲は、蒸し暑い坂道を今日もひとり上るわたしを励ましてくれているようでした。
坂を登りきると、急に視界が開けます。
ここから緩い下り坂が三方向に伸び、一本は新興住宅地へ。
一本は海側へ。
もう一本の道は、さらに森の奥へと伸びていました。
わたしが目指すところは、この丘のすぐ右手にある白い建物です。
広いお庭には噴水があり、その周りの花壇には、丈の低い植物が色とりどりの可愛らしい花を咲かせています。敷地を囲むフェンスの内側には、適度な間隔をあけて落葉樹が植えられ、この時期はどれも艶々と輝くような葉をたくさんつけた枝がゆるい風に揺られていました。
その脇をすぎ建物の中に入ると、陽射しの眩しい屋外との差に、一瞬だけほの暗いどこかに迷い込んでしまったような不安な気持ちになりますが、すぐに目が慣れると、温かく柔らかな光が充分に満ちたエントランスは、ここで暮らす人たちの笑顔が行き交う、明るい場所だとわかります。
そこを横切り、さらに進んでゆくと階段の横にエレベーターが見えてきます。九人乗りのものが二基と、その奥にはストレッチャーを載せることもできる、広いものが一基あります。
三階で降り、清潔な廊下を右へと歩きます。毎日のように来ているわたしを覚えてくれた人が、笑顔で会釈をしてくれます。
「310号室」。ここが、せんちゃんが暮らす部屋です。個室ではありません。他所の人たちと四人で暮らす、ここは小さな世界です。

よく、上に書いたようなことをぼんやりと考えています。
わたしは毎日のようにセミの聲を聞きながら坂道を登り、濡木痴夢男に会うために老人施設を訪ねます。わたしの想像の中で、時々しか現実に戻ってこなくなった濡木ですが、わたしが訪ねてゆくと、これからやりたいこと・濡木痴夢男として遺すべきもの・作るべきもののことを嬉しそうに話すのです。

せいや


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
何年か前、濡木痴夢男に手紙を出しました。

「時々、思うことがあります。
先生は以前、
「俺が死んだら泣くのは悠理だけ」
と仰っていましたね。
いま、他にも泣く人がいるのかどうか、私にはわかりませんが、色々な人たちにかこまれ、それぞれの人に頼り、「俺は縛ること以外、なにもわからないから」と言いながらご自分のことだけを考えている先生。
いつか周りの人たちが、先生と一緒にお仕事をすることがなくなり、先生が一人になり、特別養護老人ホームとか、老人病棟とか、ホスピスとか、そんな個人の自由のない、諸外国と比較すれば劣悪な環境ともいえるこの国のどこかの部屋で、小さなベッドの上だけが先生の世界になってしまったときが来たとして、私はその部屋に時々お邪魔して、
「今度はこんなことをしたいんだ」
「こんな本を書きたいんだ」
と、嬉しそうに話す先生に、
「うん、そうだね。そうだね」
と応えたい。
そして先生には、いつも嬉しそうでいてほしい。笑っていてほしい。

そんな想像は、哀しいようで温かく、優しくて切ないです。
長い時間、一人の人間とかかわってきたという事実は、やはり決してなくならないし、それぞれのシーンは、いつまでも鮮やかに瞼裏によみがえります。

先生、今度のお話は必ず実現させてください。
いつまでも、「カッコいい濡木痴夢男」として生ききってください。
それが私の、心からのお願いです。

春原 悠理
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

長い長い手紙の、これが最後の部分です。
このときはまだ濡木痴夢男はもちろん生きていて、緊縛写真の撮影をしたり、少数の「仲間」とやりたいことをやっているはずでした。
でも、なんとなく噂を聞かなくなってきたと思っているうちに、亡くなったという情報が錯綜し、死亡通知が届いたというわけです。
わたしがなぜ濡木痴夢男の死を受け入れることが出来ないのか。
それはきっと、わたしは「死体を見ていない」から。
だからどうしても納得できずにいるのです。
最期の日々、せんちゃんはきっと、わたしに会いたかったはず。そう思うと、濡木痴夢男が可哀相で仕方がありません。
でもね、まだ遅くはないのです。
いよいよ、反撃開始かもしれません。

牧場

「桃を買ってきたよ。食べる?」
にっこりとうなずく濡木痴夢男のために、果物ナイフで水蜜桃を剥きます。
さわさわと短く柔らかな毛に覆われた芳しい果実を手に取り、くるくる回して皮を剥いてゆくのですが、果汁があまりにも多すぎて、剥くそばからぽたぽたと垂れてしまいます。それをじっと見つめる濡木痴夢男は、窓外の緑に視線を移し、キリリとした横顔で原稿用紙になにか書き始めます。

「じゃあ、また明日」
エレベーターを降り、日が傾き始めた道に出ます。セミの声はいつの間にかひぐらしに代わり、樹の高い位置からカナカナカナ……と儚げに寂しげに降ってきます。
わたしは少し足を速めながら、明日は原稿用紙と新しいペンを持ってこようと思い、歩きながらメモを取るためにバッグに手を入れました。そのとき、ふわりと甘く芳しい香りが鼻をかすめます。それはさっき剥いた水蜜桃の香りでした。濃い芳香が、わたしの指に残っているのです。甘くてあんなにも良い香りの桃は、きっとせんちゃんの子どもの頃はご馳走だったに違いないと思い、少し切なくなります。
また明日。
また明日。
あと何回言えるのだろうと思いながら、今度の本のことを思い出します。
「表紙は悠理にしよう。モノクロで、風景の中に小さく佇む悠理。いいぞ」
口角が綺麗にきゅっと上がった笑顔。
みんな、せんちゃんの笑顔を憶えてますか?


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[ 2015/05/10 02:23 ] 濡木痴夢男 | TB(-) | CM(-)

時代の終わり

2010年4月。
マルコム・マクラーレンが死んだと、錦糸町のパンク息子からメールがありました。
「ひとつの時代が終わったねぇ」と返信したわたしは、
その少し前、そんな言葉を話したっけと思い出していました。
それは、緊美研を再開しようと濡木痴夢男に提案し、
具体的な日時やスタジオなどの打ち合わせのため、
新宿の喫茶店で会っていたときです。

ずいぶん前から、例会の日に「俺はもう死ぬからねぇ、あとは悠理に任せるよ」
と、何故かとっても楽しそうに大声で参加者たちに言っていたせんちゃん。
その打ち合わせのときも、「俺はそろそろほんとに死ぬからさ」と
天窓から入る柔らかな日差しを顔に受けながら、嬉しそうに言いました。
2009年春。もうそろそろ本当に、冗談ではない年齢です。
その数年前から、あちこちに故障がおきているようなことも言っていたし、
顔色や肌の艶はよく、体の動きも鈍っているようには見えなかったけれど、
確実に「そのとき」が近づいていることを、
意識の外に追いやったままでいられるわけはありませんでした。
「だめだよ、せんちゃん。せんちゃんが死んだらひとつの時代が終わっちゃうんだから」
わたしは言いましたが、同時に何にでも必ず終わりが来ることもわかっていました。

そして緊美研を再開し、2009年に3回開催。
そのあと、わたしの知らないところで何かが壊れてゆき、
まともに話をすることもなく、考えを伝えることもできないまま、
濡木痴夢男は2013年9月に死んだとされています。
それを聞かされても、わたしにはなんだかピンときませんでした。
「俺が死んだら、泣くのは悠理だけ」
せんちゃんがよく言っていました。
だけど、ごめん、せんちゃん。
わたしは、悲しくもならなかったし、涙をこぼすこともありませんでした。
それは、せんちゃんの死を、どうしても真実だとは思えなかったからでした。
悲しみよりも、そんな風にこの世を去ったとされる、そのありようが悔しく情けなく、
怒りに似た想いの方が強かったのです。

そして、数年前せんちゃんに言った「時代が終わる」という言葉が頭に浮かびましたが、
まったく実感が無く、「終わる」「終わってしまう」という寂しさも感じませんでした。
その時はもうすでに、わたしの中のせんちゃんの時代は、とっに終わっていたのかもしれません。

「死んだ後に名を残すなんて、欲のかきすぎだ」
とYO-KINGが歌っていたけれど、でもせんちゃんは自分が死んだあとにも、
みんなが「濡木先生」「先生、先生」と思い出してくれることを望んでいました。
渇望していたと言ってもいいかもしれません。
いつも周りに人がたくさんいて、先生先生と呼んでもらっていたせんちゃんは、
本当はとっても寂しかったのだと思います。
誰のことも信じていなくて、本当の自分は誰からも求められていないことを知っていました。

そんなせんちゃんだけど、懐かしんでくれる人は、まだまだいるのです。
緊美研に参加してくださっていた人たち。いつもありがとうございます。

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[ 2014/11/30 17:44 ] 濡木痴夢男 | TB(-) | CM(-)

最後の日

2009年9月。
最後の緊美研を開催しました。
もちろん、その時には最後だなんて思っていませんでした。

ひとりの会員さんの要望に応えたウエスト絞りをするために、先に両手を吊ります。
春原悠理
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この時はもう、ウエストをギリギリ絞る縄が厳しくかかっています。
春原悠理
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春原悠理
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食い込んでいる部分はまったく見えていませんが、
ウエストだけにかかった縄に体重をあずけ、
内臓でもそれを感じようと、ゆらゆら動かしているところです。
春原悠理
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沢戸冬木さんを縛る濡木痴夢男
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これが、本当に最後でした。
わたしが濡木先生と一緒にいたのは、この時が最後です。


このあと12月には、神田つばきさんをモデルに例会を開催する予定でした。
濡木痴夢男と作りたいものが、もっとたくさんありました。
緊縛も切腹も、いくつも撮影していきたかったけれど、
ほとんど何も叶いませんでした。

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[ 2013/11/11 02:03 ] 濡木痴夢男 | TB(-) | CM(-)
プロフィール
春原 悠理 Youri Sunohara Facebook
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濡木痴夢男の緊縛美研究会の主宰です。
好きなもの:ねこ、チョコレート、雑多な読書、映画鑑賞

便利なものは苦手です。
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