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おばあちゃんになれなかったから少女のままで

緊美研例会やビデオ撮影の時の写真を、
緊美研Facebookページのアルバムにまとめるため、
古い写真を引っ張り出してきて整理しています。
ほとんどのモデルたちが、一度きりではなく何度も出演してくれたので、
同じ女性の写真でも、スタジオや衣装の違うものがたくさんあります。

わたしが緊美研に初めて参加した年の秋、
佐藤まゆみちゃんがやってきました。
「田舎のジャガイモみたいな女の子が来るよ」
と濡木痴夢男が楽しそうに話していましたが、
四谷にあったスタジオに現れたまゆみちゃんは、
洗ったばかりの顔にメンソレータムを塗っただけ・・・
という印象で、本当にとっても田舎っぽかったけれど、
ジャガイモなんかではなくて、もっと新鮮で繊細な……
喩えるなら、ピーチ。桃です。
それも、大きくて形が揃っていて、
果皮を覆う細い毛が、日を受けてキラキラと輝いて、
同じ部屋にいるだけで、濃密な甘い香りに眩暈がするような
そして唇をつけると、そこから果実の中にどこまでも沈んでいけそうな、
そんな高級箱に鎮座するような桃ではなく、
出荷するにはちょっと弱いけれど、
でもなによりも可愛らしい。
生産者が、どんなに見栄えのいいひとつよりも
娘のように大切にしたいと思えるような、
そんなタイプでした。

まゆみちゃんは、その田舎っぽくどん臭いような外見とは不釣合いなほど
とても好奇心が強い人でした。
初めて参加した緊美研。
暗黒舞踏の踊り手として公演にも参加していたので、
人前で全裸を晒すのには慣れているのかも知れないけれど、
縛られて不自由な形に身体を拘束され、
たくさんの会員に写真を撮られるのはどうなんだろう?
わたしはこの日、まゆみちゃんに対して特に興味はありませんでした。
わたしの出番が一旦終わって、田原敏子さんが縛られ、
「見学」としてやってきたまゆみちゃんを
濡木痴夢男が麻縄をすいすいと手で扱きながら
「よう、彼女、ここへいらっしゃい」
と、ライトが当たる中心に手招きします。
ちょっとだけ縛ってあげよう。
嬉しそうににこにこしながら縄を操る濡木痴夢男と同じように、
嬉しそうににこにこしながら後ろ手に縛られる女の子。
なんだかいつもの緊美研の雰囲気とは違い、
会員たちは少し驚いているようでした。
高手小手にされた手首の先の、ぎゅっと握られた手は、
子どものように小さかった。
手だけではなく、身長も低かったまゆみちゃは、
本物の少女よりも少女でした。

「彼女、これからどうされたい?」
とにこにこしながら濡木痴夢男が訊ねます。
それは、たいていの女性ならば
「え~、そんな・・・恥ずかしい……」
と、腰をくねくねさせてモジモジする場面です。
でも、まゆみちゃんは全然違いました。
「わたし、レズしたい」
大陽のような笑顔で、スタジオに響き渡るような声で言いました。
濡木痴夢男は大声で笑いました。
「ああ、そう。じゃあ女の人は二人いるよ。どっちとしたいの?」
二人とは、田原敏子さんとわたしです。
いわゆる「緊縛レズ」というものを間近で見てみたかったので、
わたしは自分が選ばれませんように、と心の中で願っていました。
でも、まゆみちゃんが指さしたのはわたしでした。
なんとなく、わかってはいましたが。

この時から、まゆみちゃんはわたしにとっても懐き・・・
というより、自分で書くのもヘンですが、
わたしに擬似恋愛感情を抱き(彼はちゃんといました)、
姉や母に甘えるように、遠くからわたしに甘えました。

「まゆみちゃんは、普通に大人っぽくなるんじゃなくて、
子どもから直接おばあちゃんになるタイプだよね」
と、みんなでよく話していましたが、
何年かして、緊美研と少し距離を置くようになったあと、
数年ぶりに例会のスタジオに来たまゆみちゃんは、
普通に大人になっていました。
以前のような不思議な印象は影を潜め、
普通に働いて普通に暮らしているような、
どこにでもいるような女性という印象の人に変わっていました。
そんなまゆみちゃん。
わたしにとっても、可愛くて仕方ありませんでしたが、
しばらくして、亡くなりました。
二十一世紀になる、少し前でした。

まゆみちゃんの死に顔や死体を想像しても、
何も浮かんできません。
小動物のようにイタズラっぽく可愛らしい、
その様子しか思い浮かべることが出来ないのです。
だから、わたしのまゆみちゃんは少女のまま。
「普通の大人」の姿も記憶からは薄れ、
初めて会った時の、田舎っこのまゆみちゃん。
それが、わたしのまゆみちゃんです。
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[ 2014/04/13 20:47 ] モデルのこと | TB(-) | CM(-)

ふたたび、近江亜紀さんのこと

ずっと長い間、休眠中の緊美研です。
新・緊美研が開催されてからも、もう3年が経とうとしています。
今日まで、緊縛が好きな方々からたくさんお電話やメールをいただきました。
「再開して欲しい」
「誰々は元気なの?」
「例会じゃなくても、悠理さんに会いたいなあ」
などなど、とても嬉しい声をたくさんいただいているのです。
わたしも、一度でも例会に参加してくれた方たちとは、
直接お会いしてお話をしたいと思っています。
でも、今の不二企画には問題が山積です。
そんなこともこれから少しずつお知らせできたらいいな、と思いながら、
今日は近江亜紀さんのお話です。


近江亜紀さんの思い出はこちらをclick
1回目はこちらをclick


ここ最近うけるお電話には、近江亜紀さんのファンの方からのものがとても多いです。
みなさん申し合わせたように、亜紀さんのことをわたしと語るためにお電話をくださるのです。
もう亡くなって10年以上が過ぎてしまいましたが、今でも亜紀さんの笑顔は忘れられません。
そんなにもマニアの方たちの心の中で生きつづける亜紀さんの魅力って、
いったい何なんでしょう。
初めて緊美研に参加されたときから、すでに若いとは言えない年齢で、あの大きな体です。
一般受けなんて絶対にしない、普通の男性の性愛の対象になるとは到底思えない外見です。
(もちろん、わたしは女性は若ければ若い方がいいなんて、決して思いません。
それぞれの年齢でしか発することの出来ない魅力はたくさんありますし、
自分が歳を取ったからではありませんが、年齢を重ねた女性の美しさには、
若い人たちが叶わない勁さがあると思います。
そして、一口に「肥満体」と言って片付けられない亜紀さんの身体には、
「やばい」魅力がいっぱい詰まっていました)
そんな亜紀さんのことを、みなさん懐かしそうに、嬉しそうに語られるのです。
「あの子はいい子だから」
「かわいい子だったんだ」
「本当に縛りが好きでねえ」
何人もの「緊縛師」の男性に縛られ、ショーやビデオにも出演していた亜紀さん。
緊美研は、そんな亜紀さんにとってはその中のひとつだったのかも知れません。
少なくとも、緊美研で「縛り係」をしていた濡木痴夢男のことは、
死を目前にした亜紀さんにとっては、その程度の存在だったと思います。
何故わたしがそう思うのかというと、お電話をくださる方たちの口から出る「緊縛師」の中に、
濡木痴夢男はいないからです。
みなさん不二企画に電話をかけているのは、よくお分かりのはずです。
不二企画の緊縛美研究会で女性を縛っていたのは濡木痴夢男なのに、
亜紀さんのことはよくご存知でも、濡木痴夢男のことを知らない方さえいるのです。
これには本当にびっくりしました。
ビデオの中で厳しく縛られ、巨大な乳房を責められて喘ぎ声を漏らす亜紀さんのことは
細かいしぐさまで覚えているのに、縛っていた男のことは記憶にない・・・。
「アダルトビデオに男はジャマ。極力見たくない」
ということを聞きますが、濡木痴夢男のことも、亜紀さんファンはそう思っていたんだ・・・。

緊縛美研究会は、濡木痴夢男の縄を、縛りを見るために参加されていた方が多かったと思います。
でも、それはみんなの勘違いだったのかも知れません。
縄は、もちろん重要です。
でも、例会の場にいて、厳しい後ろ手に縛られた女性と一緒に涙を流していた方たちは、
その女性と心を合わせることも、とっても大切だったのだと思います。
縛る側と縛られる側。
両方の気持ち、意識を同時に味わうことの出来る会だったから、
10年以上にもわたり、160回も参加してくださった方たちがいたのではないでしょうか。
そんな緊美研の歴史の中で、やはり近江亜紀さんという女性は、
今でも懐かしむ人たちが絶えない、素晴らしい被虐姿を見せてくれた女性の一人でした。

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[ 2012/09/06 21:50 ] モデルのこと | TB(-) | CM(-)

本気で抵抗していいですか

『緊縛娼婦・苦悶縄』、DUGAでの配信が始まっています。
これは、中村京子ちゃんが出演してくれたものです。

バブル期の余韻があったあの頃、様々なサブカルチャーが溢れていましたね。
このごろは「サブカル」といえばヲタク文化なのだそうですが、当時は思わず
心惹かれてしまう、いかがわしいもの、ヤバイもの、そして美しいものが
たくさんあったような気がします。
今ではほとんど見聞きしませんが・・・(引きこもり&テレビや雑誌を見ないからかな?)

麻縄による「日本の緊縛」ではなく、アメリカン・ボンデージの世界が大好きで、
自分で出演し、制作・発売もしていた京子ちゃん。
京子ちゃんを知ったのは、いくつかの雑誌に掲載されてた写真を見たからでした。
「Dカップ」
というバストサイズは、当時はとても大きかったのでしょうね。
今とはブラサイズの計りかたが違っていたので、今だったらもっと大きい、
「F」とか「G」とか、そんなサイズになるのかもしれません。
そのころ、わたしは明治通沿いにある原宿警察署のすぐ近くに部屋を借りていました。
そして、ほんの数分歩いたところに、
「スタジオZara」というカメラマンの事務所がありました。
その方とは、雑誌の撮影の際に仲良くなり、アシスタントの女性がうちのシャワーを借りにきたり、
わたしがご飯を多くつくって事務所におすそ分けしたり……という、「仕事関係者」というよりは
普通の友人のようなお付き合いをしていました。
そのカメラマンと多く仕事をしていたのが京子ちゃんで、よくその方との間で話題に上っていたのです。
だから、写真で姿かたちは知っているし、明るくて気さくで優しい女の子だということも判っていました。
でも、本物の京子ちゃんに会ったのは、写真で初めて彼女を見た時から一年以上もあとになってからでした。

ある映画のアフレコのため、もう憶えていないのですが、わりと遠くにある録音スタジオへ
行ったときでした。
スタジオに向かって歩いていると、前方にグラマーな女の子がいます。
わたしは歩くのが速いので、すぐに追いついていまいました。
追い越しざまに目に入った顔は、あの中村京子ちゃんです。

うわぁ、有名人だ・・・

「中村京子ちゃんですか?」
と訊ねると
「うん、そうですよ」
と、にこにこしながら答えてくれました。
同じスタジオに行くというので、わたしたちは並んで何か話しながら歩きました。
そんなわけで、第一印象はとてもよかったです。
本当に「明るくて、気さくで、優しい」人でした。

それから数年後、ボンデージのブームがありました。
ビザールという言葉をあちこちで見聞きするようなり、
ボンデージファッションやグッズのショップもたくさんありましたね。
京子ちゃんがそんな世界で活躍しているという噂をきき、緊美研の例会に京子ちゃんを呼んでみようか……
ということになったのです。

当日の会員さんたちは、やはり生の京子ちゃんに会える! ということで、いつもより少し
興奮気味だったような気がします。
わたしたちと一緒にスタジオに入った京子ちゃんは、拍手で迎えられました。
そして、京子ちゃんが制作している作品と、緊美研ビデオとの違いなどをみんなで話し、
「わりと暴れるのがすき」
という京子ちゃんに、
「じゃあ本気で抵抗していいよ。俺の縄は絶対に緩まないから」
と笑っていた濡木先生。
ところが、縛る最中に動かれてしまうと、もう「緊縛美」どころではありません。
檻から逃げ出した動物をとりあえず確保! という印象の、美しさも厳しさも切なさも、
何もかもが置き去りにされてしまったような、そんな味気なく色気もない出来になってしまうのです。
そこで、
「縛る間はじっとして、縛り終えたらいくら暴れても構わない」
ということになりました。
この時点で、京子ちゃんが一点リードですね。
無駄なく筋肉が付き、下半身が安定している京子ちゃんは、じっとしていてくれれば
縛りやすい身体なのだと思います。
そして、縛られて床に転がされた京子ちゃんは、両脚を固縛されたままくねくねともがき、
そのまま上体を起こし、そして立ち上がったのでした。
会員さんたちもびっくりしていましたね。

「どうだ、俺の縄は緩まないだろう?」

にこにこしながら縄を解く先生に、京子ちゃんもにこにこして曖昧に頷きます。

後日、京子ちゃんが連載していた雑誌に、緊美研に参加したことが書かれてあったのですが、

「絶対緩まないって言われたから、ちょっと動いただけなのにユルユルになっちゃって……(笑)」
と控えめに触れてありました。

わたしも何度か、
「縛られるんだから、本気で抵抗していいんだ」
と言われたことがありましたが、わたしが本当に本気で抵抗したら、
あなたたぶん死にますよと思ってしまうような「縄師」の方もいて、「おんな舐めんなよ」と
心の中で呟くこともありました。

凶悪レイプ犯のように、初めに女性の顔を激しく殴る・・・などのことをして、
戦意喪失させてからでないと、本気の女性は強いですからね。
アメリカの性犯罪者更生プログラムでは、自分が犯した現場でのできごとを、
犯人が被害者役になって、屈強な刑務官に襲われるという方法で再現し、
被害女性の恐怖を味わわせるという州があり、性犯罪者更生としての効果は高いそうです。

日本でも取り入れて欲しいと思います。

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[ 2010/09/01 16:51 ] モデルのこと | TB(-) | CM(-)

神田つばきさんのこと

神田つばきさんが初めて緊美研に参加してくれたのは、1998年5月10日、第141回目の例会でした。
不二企画にモデルとして応募されたのです。
その時の電話での印象は、ハキハキとした明るいマニア女性という感じで、近江亜紀さんを思い出しました。
その時神田さんは39歳でした。
『著しく体型が崩れているとか、ものすごく太っているとかいうことはありませんが、「ああ39歳だな」っていう身体です』
そう自分のことを私に伝えてくれた神田さんは、女性らしい、優しくたおやかな声と話し方で、頭の良い人、という印象でした。
面接当日、神田さんが先だったのか私が先に着いていたのか憶えていませんが、待ち合わせの喫茶店で会った神田さんは、電話のイメージ通りの女性でした。
一通りの挨拶を交わし、例会のことを説明し、何か質問はありませんか?不安なことはありますか?などと話したあと、普通の女友達のように普通の会話をしばらくしました。
この日のことは、あとになって
「最初からいっぱい話せたよね」
と私が言ったことに対し、
「そう言ってくれたのがとても嬉しかった」
と神田さんは思い出していました。
つまり、初めて会ったときから「気の合う」友だちのようだったのです。

そして例会当日、その日のモデルは西尾ゆきほちゃんと、やはり初参加で横浜から来られたマニア女性です。この方も緊美研ビデオをたくさんご覧になっていた、濡木先生のファンでした。
ゆきほちゃんのあと、横浜の女性が縛られたのですが、緊張のあまりおかしなテンションになってしまっていたのか、「羞美」とは違う、喩えていうなら小さな女の子が大人たちにウケようとして、逆に白けさせてしまう……そんなイタイ被虐の姿だったのです。
でも、この方もご自分なりに先生の縄を感じ、会員のみなさんに喜んでもらいたいと思っているんだな、ということはわかりました。同じ女性だからかもしれません。
やや白けた会場で、いよいよ神田さんの出番になりました。
神田さんはそのほっそりした肢体をしなやかにくねらせて、全身と魂で濡木先生の縄を感じようとするかのように美しいポーズを見せてくれました。
稼動域が広いなあ、と感心した高い後ろ手。猿ぐつわから漏れる声。
みんなが神田さんをみつめていました。
そのあと、神田さんはレギュラーのように緊美研例会にたくさん参加してくれたのです。

そして緊美研が休止になり、その後数年間は、仲の良いモデルの人たちと
「一ヶ月に一回くらいは会おうよ」
と、みんなで食事に行ったりしていました。
神田さんとは、2人でお芝居を観にいったこともありました。
私の切腹ビデオ『珠姫草紙』をとても気にいってくれ、
「珠姫を娘のように思う」
と言ってくれた神田さん。

そしてなかなかみんなの都合が合わずに、会えなくなって数年。
「ビデオのレーベルを立ち上げました」
と神田さんから連絡がありました。
それは、ほとんどの作品にご自身が出演されているレーベルで、内容はもちろん緊美研とはまったく違うものでした。
その随分前から、プライベートで神田さんと会った時に聞かされる話の内容に、私はいつもびっくりしていたのですが、神田さんの緊美研以外での出演作をご覧になったことのある人は多いと思いますのであえて書かせていただきます。
濡木先生がナイショ話に書かれていた、「残酷拷問我慢大会」のような内容だと推察されるものなのです。
でも、私は神田さんはそういうものを作っている方が輝くんじゃないかな…
とぼんやりと思ったのです。
神田さんは、私が見ていて
「この人は苦痛を感じることでしか自分が生きていることを実感出来ないんじゃないか」
と思うことがよくありました。
これは私が勝手に思っていたことなので、本当のことはわかりません。
でも、どうしてか神田さんはひどい責めを受けている刹那にものすごく幸せそうな、安らいだ表情をするときがあるのです。
いくつも見たわけではないのに、私の勝手な思い込みかもしれませんが、それが神田さんの幸せなのかなぁ、と思ったりもするのです。

神田さんについては、まだまだ思い出がいっぱいあります。
私は「かんちゃん」と呼んでいました。

そして、今日「緊美研.com」のトップにもあります、「DUGA」のサイトを見たところ、8月6日付けの新着でかんちゃんのレーベルが参加していたのを偶然見つけました。
たまにしか行ってみないのに、本当にびっくりしました。
緊美研が好きなみなさまには、決して受け入れられないような内容かもしれません。
でも、私はかんちゃんの『底の深さ』のようなものを感じ、そして頑張り続けているひとりの女性に感動したのです。

復活した緊美研に、かんちゃんが参加することは決してないと思いますが、私はトモダチとして応援したいです。


↓このバナーが神田さんのレーベル紹介ページです。
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[ 2009/08/07 00:59 ] モデルのこと | TB(-) | CM(-)

近江亜紀さんのこと ②

亜紀さんをずっと支えてくれていた会員のYSさんは、もともと会員だったのではなく、亜紀さんが出演していた緊美研ビデオをご覧になり、不二企画に連絡をくださったのでした。
「『K-29』にでている女性、私は以前からあの子のファンだったのですが、近江亜紀というモデル名からして、絶対に自分が知っている子のはずなんです。近江というのは滋賀県に住んでいるということですよね」
「K-29」は、亜紀さんが初めて緊美研に参加してくれたときの、紺色の浴衣を着て縛られたあの時の映像を収めたビデオです。
当時のこのシリーズは、30分という短い作品にもかかわらず、前半・後半の15分ずつに別のモデルのクライマックス的緊縛シーンを収録するという、たいへん贅沢というか勿体ないというか、物足りないというか、そんなビデオでした。ちなみに、亜紀さんと半分こに収録されていたのは、早乙女宏美ちゃんと私の、日本庭園での連縛映像でした。
そのYSさんのお話しを伺うと、亜紀さんが他の「SM」ショーなどに出演していたのをご覧になり、すっかりファンになったのだが、プロのモデルなのか、名前も所属も何もわからず、何年も探しあぐねていたということでした。
緊美研ビデオを見つけられたのは本当に幸運だったと、YSさんはおっしゃっていました。
「運命的な出会い」です。私は感動しました。
何年も想っていた女性との再会です。しかも、亜紀さんはステージの上で縛られていたので、客席にいたYSさんのことは知りません。
YSさんだけが長い間亜紀さんを想い続けていたのです。それが、直接会って間近で見つめ、言葉を交わし、自分のことを知ってもらえる。素敵なことです。
YSさんは、亜紀さんのことが本当に大好きで、本当に大切にされていました。
何度か、例会の中ではなく亜紀さんのビデオ撮影をしたことがあります。SシリーズやPシリーズなどです。
あるとき、YSさんもその撮影に見学参加されることになったのです。
(この例会以外のビデオ撮影は月に一、二度行われており、見学に参加される会員さんがいました)
スタジオでの撮影が終わり、私は不二企画が用意しておいたホテルまで亜紀さんを送るためにYSさんと亜紀さんと三人でタクシーに乗りました。
フロントで私がチェックインしている間、心地よい疲労に酔ったように、ほどけた表情をしている亜紀さんを、YSさんはお父さんのような優しい顔でいたわっていました。
部屋の鍵を受け取り、ロビーで待つ二人に近づいたときにはっと気付いたのですが、私が予約しておいたのはレディースフロアです。こんなに亜紀さんをいとおしんでいるYSさんを、優しい亜紀さんはきっと、お部屋に案内してゆったりとした気分で一緒にお茶を飲んだりしたいと、思ったはずです。
でも、お部屋どころか男性であるYSさんは、そのフロアに下りることさえできません。
亜紀さんはさみしいだろうな、とその時思いました。
濡木先生の縄を受け、厳しい責めを受けたそのあと、ほっと緊張が解けてさっきまでとはまったく別の「おんなの顔」に戻ったとき、そんな時に自分を本当に想ってくれる優しい男性がそばにいてくれたら、亜紀さんはものすごく幸せを感じることができたはずだと思ったのです。
でも、YSさんが亜紀さんのことをとてもとても大切にしているということを本当の意味で私が知ったのは、亜紀さんが最後の入院生活を送っているときでした。
前回の記事で、私は彦根城の近くにある亜紀さんの入院先にお見舞いに行ったと書きました。
病室で何時間も話し、私は持参した小さなビデオカメラで病床の亜紀さんを撮影しました。
それまでに何度も話したように、亜紀さんの今までの「SM」経験、うんと年上でその数年前に亡くなってしまったご主人のこと、YSさんのこと……。
私は亜紀さんに
「女に生まれてよかったと思ってる?」
と訊ねました。
亜紀さんはちょっと笑って、
「そうね」
と答えてくれました。
そうして撮影したテープは、約一時間ありました。亜紀さんはよく笑いました。弱々しくなってはいたけれど、その笑顔は以前と変わりませんでした。私はなぜかそれがとても悲しくて、いけないと思いながらも病室でつい泣いてしまいました。
ベッドの上で亜紀さんは笑っている。
まもなく死を迎えようとしているひとが穏やかに笑っているのに……。私はとても恥ずかしかったです。その直後、当時中学生だった亜紀さんのお嬢さんが病室に入って来ました。
数年前に亜紀さんのビデオ撮りをしたとき、下の男の子とこのお嬢さんも一緒に上京していたのです。当時はまだ小学生でしたが、甘えんぼで私に抱っこされていた弟と違い、このお姉ちゃんは、とてもしっかりした女の子でした。
その日亜紀さんは、撮影のため私と一緒に出掛けなければなりませんでしたが、寂しそうな顔も見せずホテルまで来てもらったシッターさんにもきちんと挨拶をしていました。
お母さんと弟と、三人で来る初めての東京。本当ならディズニーランドにでも連れて行ってあげたかったですが、私もカメラマンとして撮影に関わっていたので、二人の子どもたちにとても申し訳ない気持ちでした。
あの時の女の子と再会できたことが、私は嬉しかったのです。彼女は私のことを憶えていてくれました。ジャージ通学の学校なのか、校章の刺繍が胸に入った赤いジャージ姿でベッドの横に立ち、亜紀さんから洗濯物を受け取って帰っていきました。
私は、もう少し何か言葉を掛けたかったのですが、何も思いつきませんでした。
お嬢さんが帰ったあと、少しの間しんとした空気がながれました。
亜紀さんの顔には、「母」「家族」としての切ない表情がありました。
「私はねえ、あの子たちのお母さんとしてよりも、ずっと自分の女の部分を見てきたようで、今さらだけど悪かったと思うのよねえ」
亜紀さんがぽつりと言いました。少し笑ったままでした。
私は亜紀さんのその言葉に何も応えられず、黙って亜紀さんの背中をさすり続けました。
窓の外は、もう真っ暗になっていました。そろそろここを出ないと帰りの新幹線がなくなってしまう。
名残惜しかったです。とてもとても。
「これが最後かしらね、もう悠理さんには会えないのかしら」
「また来るよ。だから待ってて」
そして、ベッドの上の亜紀さんをぎゅうっと抱きしめました。
その私の腕に伝わってくる亜紀さんの身体は、想像していたよりも、今までに知っていた亜紀さんの身体よりもずっとずっと小さく感じられて、ただただ悲しかったです。
誰かが亡くなってしまうこと。
その人が死んでしまうこと自体より、もう絶対に元気になることはないんだ、もうこの命は尽きるしかないんだ、と認めることの方が、私にとってはつらいときです。

それからしばらくして、不二企画にYSさんからお電話がありました。
「きのう、亜紀さんが亡くなったよ」
その前日、病室の亜紀さんから電話をもらったばかりでした。
「痛いけど、まあ仕方ないね。また悠理さんに会いたいな」
短い通話でしたが、電話の向こうで亜紀さんは笑っていました。
だから私には、今でも亜紀さんの笑顔ばかりが残っていて、思い出すとつられて微笑んでしまうのです。
ずっと緊美研のスタッフとして多くの女性たちを見てきましたが、亜紀さんがいちばん深く関わったというか、友だちに打ち明けるように色々なことを私に聞かせてくれたので、やはり一番心にのこっています。
そして、亡くなって十年過ぎた今でも、時々その笑顔を思い出します。

YSさんは、亜紀さんと同じ地方に住んでいた方なので、何度も会っていたそうです。
病室の亜紀さんに訊いて驚いたというか予想通りというか、YSさんは亜紀さんがどんなに「男と女」の関係になりたいと言っても、「あなたは大切な人であり、一緒に病気と闘う戦友だから」と言って、ただ精神面と経済面で亜紀さんを支え、そして二人のお子さんへのさまざま支援という形でしか関わっていなかったそうです。
亜紀さんが亡くなったあとも、高校へ進学するお嬢さんの相談にのったりと、二人のお子さんの心の支えになっていらしたようです。
そのYSさんとも次第に連絡が途絶えてしまい、今はどうされているのかはわかりません。
亜紀さんのお嬢さんも、もう立派な大人になっています。
病室で話したとき、「看護婦になりたい」と言っていましたが、きっと今では病気の人たちの支えになって活躍しているのだと思います。

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[ 2009/05/22 17:31 ] モデルのこと | TB(-) | CM(-)
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春原 悠理 Youri Sunohara Facebook
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濡木痴夢男の緊縛美研究会の主宰です。
好きなもの:ねこ、チョコレート、雑多な読書、映画鑑賞

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