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親を亡くす(失くす)ということ

緊美研にも何度も参加してくれた、仲良しの人がいます。
年は、わたしよりもひとつかふたつ上で、だからもう、親の年代もそれなりに高齢です。
彼女のお母さまが、先日一人暮らしの自宅内で転倒し、怪我をしたというのです。
普段から、二人いるお子さんのことや生活のことなど、
様々なことをわたしに相談してくれる人です。
一時期は大変有名になったことのある人なので、
「あぁ、」と思う方もいるかもしれません。
でも、今回は彼女の名前は伏せて、Yちゃんとします。
そのお母さまがおいくつなのか、わたしはYちゃんに訊ねたことはありませんが、
若い頃は浅丘ルリ子にそっくりだったという、とても美しい人なのです。
Yちゃんの父親は、もうずっと昔に離婚していて、顔も覚えていないそうです。
ずっと一人でYちゃんとその下のきょうだいを育ててくれたお母さまが、
実家の古い家で、転倒したのです。
電車で二時間程度の田舎へ、Yちゃんは出掛けてゆきました。
そこで目にしたのは、身動きを取れず文字通り寝たきり状態の母親でした。
Yちゃんには比較的厳しく当たっていた母親が、うわ言のように弱々しい声で話すのは、
Yちゃんにとってとても辛いことでした。
Yちゃんの下にいるきょうだいは、病気のために田舎に駆けつけることが
出来ないため、彼女はたったひとりで怪我を負った高齢の母親と何年振りかで対峙しました。
母親の脚は、普段の三倍くらいの太さに腫れていました。
転んだ時にぶつけたのか、顔も腫れて黒っぽい痣ができ、
ひとりで起き上がることも出来ないほど、身体にダメージを負っていました。
Yちゃんは三日間仕事を休んで来たので、実家の方に住む親戚の人たちと
今後の相談をしましたが、本人は絶対に病院へは行かないと言うのです。
仕方なく、とりあえず自宅で看護をすることにし、Yちゃんはパンツタイプの
大人用紙おむつ等を買いに行きました。

わたしの母も自宅で亡くなりましたが、訪問看護の病院にお世話になっていたので、
日常的に使うものなどで困ったことはなかったし、
使い方に迷うこともありませんでしたが、
Yちゃんはオムツの中に敷くパッドを買い忘れ、
変わりにトイレットペーパーを当てていたら、
それを母親が自分で処理しようとベッドから這いだし、また転倒してしまったというのです。
(うちで使っていたオムツにはパッドなど不要でした。
色々なタイプがあるのだと初めて知りました。)
脚の腫れはどんどん酷くなり、皮膚の色も生きた人間のものではないような色に
変化してゆきました。
Yちゃんは、「どうしたらいい?」とわたしにメールをくれました。
そんなに腫れているなら、骨折してるかもしれない。
やっぱり一度受診しないといけないのでは?
と返信すると、母親は「入院したらもう家に帰れない。人体実験される」と拒否したというのです。
これにはYちゃんも参ってしまいました。
若いころ、あんなに美しく聡明で厳しかった母が、
こんなに愚かでみっともないことを言いだすなんて……と。

わたしは、わたしの経験と想像で、Yちゃんに言いました。
ご高齢の人の気持ちは、まだまだわたしたちにはわからないことがある。
お母さまのプライドを守ることを一番に、理解を示してやさしくしてあげて、と。
これが正しいことなのかはわかりません。
女性と男性でも違うでしょうし、どんな生き方をしてきたかによっても、
いえ、それ以前にひとりひとりがみんな違うのです。
でも、美しかったお母さまなら、厳しく育てた娘であるYちゃんに
オムツの交換をされるなど、屈辱以外のなにものでもないかもしれません。
病院で、プロの看護師さんのお世話になる方が、気持ちはラクなのではないかとわたしは思いました。
そう言うと、Yちゃんは「わかった」と言って、今日日曜日、救急で病院に母親を搬送したそうです。
結果は、大腿骨骨折で手術が必要とのこと。
あのまま自宅で寝ていても、治るはずはありません。
そして、個人の家の中というある意味密閉された空間に、
確執があった母娘がふたりきりでいて、精神衛生に良い結果をもたらすはずはありません。
入院してもらったのは、良い判断でした。

わたしの母は、家族に「下の世話」をされるのが嫌で、
自分の足で立てなくなった日から、食事を摂らなくなりました。
栄養の点滴もいらない。水分だけでいい。
点滴のパックを替えながら、いつも来てくれていた看護師さんは、
心配そうに言います。
「本当にいいの? 水分だけだと一日か二日しかもたないよ。後悔しないの?」
それは、母の強い意志でした。
最期までにこやかに、自分を保ったままで逝きたい。
みんなの記憶に最後に残る姿を、みっともないものにしたくない。
わたしは、本当は、死体でもいいからそこにいてほしいと、そう思っていました。
カタチだけでもいい。
魂がなくても、ママのカタチがあれば幸せな夢を繰り返すことができる。
でも、そんなことが叶うはずはありません。
点滴を水分だけにした翌朝、母の呼吸が止まり、心臓もゆっくり止まりました。
担当の看護師さんが、心のこもったあたたかい声で「おつかれさま」と言ってくれました。
穏やかな顔で横たわる母の身体は、ほんの五分前とは別のものになっていました。
わたしは、母の心を守れたのだろうかと、ずっと悩みました。
もっとやさしくすればよかった。
もっと一緒にいればよかった。
もっと大好きだよって、何度でも言えばよかった。

わたしは自死遺族でもありますが、それが自死でも病死でも事故死でも、
大切な人を送った者は、ずっと負い目を持ち続けて生きてゆかなければならないのだと、
母の骨をかじりながら思いました。

Yちゃんのお母さまがどこまで回復してくれるか、元通りの生活に戻れるまでになってくれれば、
そんな嬉しいことはありませんが、そうでなかった場合、
そのあともずっと、わたしはYちゃんの話し相手になっていたいです。
親の死と向き合う時、わたしもYちゃんも、小さな少女の頃に戻り、
母親を探して泣きながら歩くような寄る辺なさを抱えているのだと、
先月のお盆にも何もしなかったというのに(横浜は旧暦の新盆です)、
いまはもういない人たちの笑顔が浮かんで仕方ないです。



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[ 2020/08/09 22:16 ] 思うこと | TB(-) | CM(-)

どうして麻縄なのか

わたしが初めて緊縛美研究会でモデルをしたのは、1987年の初夏でした。
このブログに書いたことがありますが、それは緊美研例会では初めての一泊での撮影会で、
東京都五日市市にある、広い日本庭園が美しい旅館で行われました。
せんちゃんとは、それ以前に雑誌の撮影で何度もお会いしていたので、
知らない縛りの会(もっとも、「縛りの会」というものが存在すること自体、わたしは知りませんでした)
からの依頼でしたが、警戒することなく参加することができました。
仲良しだったモデルの杉下なおみちゃんの紹介で、
当日はなおみちゃんもモデルとして来るよ、と電話をしてきた不二さんが言いました。

それから次の月もその次も、毎回わたしはモデルとして呼んでもらいました。
毎月同じモデルが縛られるなんて、参加者はそれで満足なのだろうかと
心配になりましたが、濡木痴夢男が本気で縛れるような、
厳しい縄と責めを受けられる人は、そうそう多くはないのです。
余談になりますが、SMクラブで働いていた知り合いの女の子から聞いた話によると、
いわゆる女王様役の女性はやはり綺麗な人の方が人気が高いけれど、
M女役の責められる女性は、外見よりも内容をどれだけこなせるかによって人気が変わるのだそうです。
「だから、うちのナンバーワンの子はすごいブスだもん。
でもね、あの子はなんでも受けるから指名が多いんだよね」
なるほど、と妙に納得したのをおぼえています。
あれ、また何を書いているのかわからなくなりますね。

【どうして麻縄なのか】今日書きたかったのはこれです。
そうだ! 緊美研と出会うまでに、
わたしもSM関係の仕事は雑誌やビデオ、映画やショーなど、
少しは色々な経験をしたのだと思い出したのです。
その中で、SM雑誌の撮影ではもちろん麻縄が使われましたが、
きちんとした「縛り係」のいない適当なメーカーの現場では、赤やその他の色の綿ロープや、
化学繊維を多く含んだロープが使われることもあったのです。
前述のSMクラブで使われていたのも赤い綿ロープでした。
赤いロープは、見た目がきれいで柔らかそうで、女の子の受けもよく、
縛る側も扱いやすいと感じるようですが、わたしは好きではありません。
確かに、一本目のロープが肌に触れた瞬間の刺激は、
柔らかくて温かみさえ感じましたが、それが手首を括り、
背中の高い位置においた手首から乳房の上を一周し、
さらに胸の下を一周して手首に戻る……。
その、一本目を縛り終えた段階で、もう手首がギリギリと痛んだのです。
これは、縛る人が上手くないからということも当然あるでしょう。
麻縄による緊縛ではない、ヴィジュアル重視のSMモノです。
縛ることが目的なのではなく、女を動けなくするならなんだっていいのです。
それこそ結束バンドでも。
社長秘書のフリをした女スパイ(笑)の役ですから、白いブラウスに黒いタイトスカートでした。
白く光沢のある生地に、赤いロープは鮮やかに映え、
これから様々な拷問を受ける絵面としては、それでよいのかもしれません。
でも、表面が柔らかいくせに、この痛さはどういうことだろう。
何か中心の芯になる部分に硬い素材が使われていて、
それをコットンの繊維が覆っただけ、という感触なのです。
だから、縄に体重を預けてもある部分だけがとても痛く、縄酔いなどとは程遠い縛りでした。
この時のロープが、たまたまそんな作りだっただけなのかもしれないと思いましたが、
それ以降、赤い綿ロープはいつも同じで、スタジオの隅にそれが無造作に置かれていると、
気が重くなるのでした。
緊美研の例会で、何度も「なぜ麻縄なのか」という話が繰り返されました。
古くからのマニアという訳ではなく、最近SMに興味を持ったばかりだという人が参加したときなど、
せんちゃんはその人の疑問に丁寧に答えてゆきます。
それは言葉で説明することだったり、実際にせんちゃんの麻縄に触れてもらうことだったり、
緊縛の実際を見せることだったりしました。
「どうして麻縄なのか」
なによりも、写真にした時にいちばん馴染むからです。
モデルの服がどんな色柄でも、どんな肌でも、麻縄の色は相手を選びません。
そして、「女を縛るということがどういうことなのか」。
それを理解していれば、自ずと麻縄を手に取るはずなのです。
さらってきた女を縛り、吊り、責め上げる。

『女をいぢめると、いろいろな顔をするからねェ。がまがえるの尻を押すようなものでね。
とにかく生きた人間をおもちゃにするくらい面白いことはねえ。     伊藤晴雨』


悠理麻縄



これは緊美研通信に掲載された、鵜藤恵さんがご自身の文章の冒頭に引用された
伊藤晴雨の言葉ですが、「女を縛って責める」とは、こういうことなのです。
納屋の壁に掛けられた、汚れた麻縄――。荷物を縛る麻縄――。
それで人間の女性を縛るのです。
「生きた人間をおもちゃにする」
「緊縛」で表現されることは、そんな恐ろしいことなのです。
そして、縛って責められることをひっそりと好む女性もまた、
人間扱いなどされなくてよい、一個の荷物のように、モノのように惨めな扱いをされたいと、
心の奥底で望んでいたのです。
それは、性的な快楽とはまた別のものです。
もっと深層心理の奥深いところ、誰もが自覚していない部分で渇望する、
自分が人間になる以前の小さな意識が求めているものなのかもしれません。

そして大切なこと。
「どうして麻縄なのか」それは、麻縄が実は縛られる側の身体に一番やさしいからです。
これも当然、縛る人の上手い・下手によりますが、せんちゃんの縛りでは、
最初に縛られた手首は、あとから何本縄が足されてどんな厳しい吊りポーズになり、
どれほど長い時間縛られ続けていたとしても、
そこだけに縄がきつく食い込んで痛むということがありません。
手首の縄はいつでも、あらゆるポーズに対応できるよう、ある程度のゆとりをもって掛けられます。
綿ロープのときに感じたように、骨にギシギシ食い込んでくるような不快な痛みはありません。

麻縄の魅力は、挙げだしたらいろいろあるのです。
匂いもそのひとつです。
でも、だいぶ長い記事になってしまったので、また別の機会にします。
そして、縛られた際の感想はわたしの主観ですので、別の感想を持つ人も当然いることでしょう。
久しぶりに、そんな話を誰かとしてみたいと思う夏の夜です。



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[ 2020/08/06 23:21 ] 緊美研 | TB(-) | CM(-)

弓なりの美しさ・駿河問い

先日、緊美研FANBOXに鵜藤恵さんの「禁忌の寓話」という文章を投稿しました。
これは1991年12月に発行された、緊美研通信第八号に掲載されたものです。
この鵜藤さんの「禁忌の寓話」の冒頭で、濡木痴夢男が「赤木恵介」というペンネームで書いた
「明治残酷記・四年間の拷問に耐えた女」という小説の一部が引用されています。
それは、「かね」という女性が駿河問いの拷問にかけられているシーンで、
短い引用部分だけを読んでも、相当に辛い拷問であることが伝わってきます。

本物の駿河問いが、どんなに激しい苦痛を味わわせるものか、
メニエール病であるわたしは、想像しただけでも眩暈と吐き気に襲われそうな気がします。
緊美研の中で、何度か駿河問いの縛りが行われたことがあります。
早乙女宏美さん、望月麻子さん。
いますぐにその光景を思い出せるのはこの二人ですが、
他にも何度か、会員のリクエストで実演されたことはあったと思います。
しかし、そのどれもが、「明治残酷記」と同じ縛り方ではなく、
曲げた腕にも縄をかけたりと、「美しさ」という点では物足りないものでした。

わたしは、緊美研で駿河問いをされたことはありませんが、
あるショーの中で、この「明治残酷記」に書かれたのと同じように吊られたことはあります。
大きなテーブルのような台の上にうつぶせに寝かされ、
左右の手首と足首をひとつに括られるのです。
その縄尻は天井に取り付けられた滑車を通り、
女性縄師がそれを少しずつ引き上げます。
身体の他の部分には一切縄はなく、
手首と足首だけが徐々に上へ引っ張られてゆくのです。
腕はまっすぐに伸び、鎖骨が左右に開いてゆくような気がします。
少しだけ膝が曲がったまま、脚もどんどん引き上げられます。
腰はいっぱいに反り、身体の前面の皮膚が伸びきるような感覚で、
最後までテーブルに触れていたおへその辺りが浮き上がりました。
縄は、麻縄ではなく赤い綿ロープでした。
表面がふわふわと柔らかな感触のロープです。
そのため、手首と足首の食い込みはちっとも痛くはないのですが、
いつまでもやわやわと伸びるような気がして、なんだか頼りなく感じました。
ちょうど、弦を引ききった弓のような形に全身が反り返ります。
身体が柔らかかったわたしは、それだけでは特に苦痛はありませんでした。

「鏡を見てごらん。ほら、こんなに綺麗」

縛った女性が客席に向けるように言い、離れたところにある大きな鏡を指しました。
髪を掴まれ、がっくりと垂れていた顔を上向けにされます。
ライトに照らされたわたしのカタチは、本当にきれいでした。
拷問縛りをされている生身の人間ではなく、
作り物のように美しい弧を描いた全身は、そのまま飾っておきたいと思うほど、
完成された形に見えました。
事前の打ち合わせで、「絶対に回さないでください」と念押ししてありました。
少しでも揺れたり、回ったりしたら、その場で吐いてしまうのでは、
という恐怖があったのです。
でも縄師の女性は、思った以上に駿河問いがうまく決まったので、
もっともっとよく見せたいという気持ちが働き、
「ちょっとだけだから」
とこっそり言うと、わたしの頭を支えて回し始めました。
せっかく縄と美しい縛りに酔っていたのに、
途端に正気に戻ってしまいました。
いつ激しい嘔吐に襲われるか知れない恐怖に、わたしはもう完全に正気です。
彼女はゆっくり数を数えながらわたしを回しました。
10まで数えると、そっと頭を支えていた手を放します。
わたしは反対方向にゆっくり回りました。
始めは目を開けたままでしたが、流れる視界に耐えられず、
固くまぶたを閉じて耐えました。
でも、目を閉じていても残像がまぶたの裏で回るのです。
あぁ、つらい。気持ち悪い……。
でも、いまはショーの最中です。
「耐え切れなかったときは、『ノー』と言ってね」
と言われていましたが、いきなり「ノゥーッ!」なんて声を出したら場が白けてしまいます。
懸命に意識を飛ばして、耐えました。
ゆっくりゆっくり回転が止まり、吊っていた縄がゆるんで、またテーブルの上に俯せに下ろされました。
しばらくは目を開けられません。
頭を起こすことも出来ません。
指先が痺れ、唇と舌も痺れていました。
脂汗が顎からしたたり、きっと顔面蒼白だったと思います。
でも、彼女は上機嫌で、「次は背中に重石を載せようね」などと
楽しそうに言います。
わたしはまともに返事をすることもできず、ぐったりと横たわったままでした。

yourigya001.jpg
これは畳に身体がついたままで、宙吊りではありません


緊美研の中で、様々な吊り責めをされました。
逆さに吊られたとき、濡木先生はすぐに回そうとします。
「回ったら吐くよ」
とそのたびに言っていたのですが、
「それもいいじゃない」
と先生は笑って、会員を愉しませる程度にわたしを回しました。
そんな日は、帰宅してからもふわふわと浮いたような感じで、
横になっても座っていても、なんとなく胸がむかむかするのでした。

だからわたしは、「本物の駿河問い」を受けることはできませんが、
あのショーの最中に鏡で見た、弓なりに反った自分の身体はとてもきれいで、
濡木先生の縛りで、あの形の写真を残したかったと、今でも時々思うのです。



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[ 2020/07/27 00:43 ] 縛られること | TB(-) | CM(-)

雨の音はひとりで。

数年前、片方の耳が聞こえにくくなったので耳鼻科に行ったところ、
「ストレス性の一過性難聴」と言われました。
聴力検査を受け、耳の中を診察されて、それ以外特に異常はみつからないということで、
ステロイドの錠剤を三日分処方されました。
そして四日後、再び受診して、前回と同様の検査を受けました。
防音の小部屋で分厚いヘッドホンをつけ、ある音が聞こえたらボタンを押す、
というものでしたが、もう前回とは比べものにならないほど
鮮明に聞こえるのです。
おぅ、やっぱステロイドすげぇ
と思いつつ、診察室へ移動しました。
「もう治ってるね。まったく問題なし」
それ以前からずっとお世話になっていた耳鼻科の先生は、
嬉しそうに言いました。
「しかし、高音がこんなに聴こえるなんて小学生並みだよ」
と言われ、あれ……? これって以前にも同じことを……、と
思い出しました。
そのさらに数年前、ちょうど同じような症状があったときに、
やはりこの先生にそう言われたのです。
あれから何年か経ってるのに、いまだに小学生並みか。
ではわたしは、夜の公園で流されるというモスキート音を
聴くことができてしまうか、と。
なんだか「大人」としては欠陥がある人間のように感じ、
少なからず傷ついていたのでした。

いやいやいや、また。
こんな前置きは必要ないのですが、
どうしても、書こうと思っことをすぐ書くのが恥ずかしくて、
こうしてどうでもいいようなことを書いてしまいます。
それでも上の部分を削除するのもアレだよなぁ、とそのままにしてありますが、
本題はこれからです。

家の中にいても、外出先のどこかにいても、
わたしは雨の音を聞きつけるのがとても早いです。
地面に小さな水滴が落ちる音、青々と茂った樹木の大きな葉に落ちる音。
誰にも気づかれないよう、ぽつ、ぽつと微かに音を立てて
道を濡らしてゆく雨の思惑など無視して、
たいていはその場にいる誰よりも敏く、
雨の立てる気配を知るのです。

子どものころ、家の建て直しがありました。
大家族だったうちは、何人かずつに分かれて、
小さなアパートを借り、そこで半年間を過ごしました。
そのアパートはトタン屋根の建物で、雨が降ると
コツンコツンと、屋根に当たる粒が高い音を奏でました。
独りで留守番をしている時に雨が降り始めると、
わたしは部屋の隅で膝を抱え、それに耳を澄ませました。
目を閉じていると、そこはアパートの畳の上ではなく、
どこか知らない遠くの山の、美しい森になりました。
わたしは誰かの車の中にいて、きっとさらわれてゆくところなのでしょう。
手足は何かで拘束され、身動きどころか声を出すことも出来ません。
息苦しくて不安で、パニックを起こしそうになりますが、
コツ、コツ……と車体を叩く何かの音が聞こえます。
雨……?
リズミカルに打ち続ける音に耳を澄ませ、神経を研ぎ澄ましていると、
不安は霧散し、わたしは解放感に叫びだしたくなります。
どこまでもゆける。
なんにでもなれる。
と。

そんな子どものころの記憶が、ふとよみがえった今日でした。

とく

いつか、緊縛ものの撮影で、縛られたまま車の中に放置されたことがありました。
それは、わたしを縛り終えた頃、いわゆるゲリラ豪雨が降って来たからで、
せっかく縛ったのだから、解いて縛り直すのも面倒だと、
スタッフはみなコンビニで少し時間をつぶそうと、わたしを置いて出て行ったのでした。
ひとりで車に残されたわたしは、着衣のまま後ろ手高手小手に縛られ、
両脚も一緒に括られていました。
厳しい縛りではなかったので、「このままでいいですよ」と言い、
雨の音を愉しみました。
助監督さんが一緒に残りましょうか、と言ってくれましたが、余計なお世話です。
ひとりでいい。ひとりはいい。ひとりがいい。
こんな状況になるなんて、滅多にないことです。
車体に当たる雨粒の音が、子どものころトタン屋根のアパートで聞いた音と重なります。
あの頃に描いた危うい状況を、いま、現実に味わうことが出来るのです。
わたしを拘束していた「何か」は、麻縄でした。
これからどこへ連れてゆかれ、どんなことをされてしまうのか。
寂しいことに、わたしの妄想の上をいくようなことは、
現実世界では決して起こりません。
だから……ひとりでいい。ひとりはいい。
ひとりがいい。

わたしはわたしを覆う殻の扉を内側からきつく閉じ、
誰も入って来られないように鍵をかけます。
そして拘束されているはずの四肢をゆっくりと伸ばしてから、
目を閉じたまま孵卵器の中でまあるくなるのです。

雨の音はますますクリアに、危うさを増してわたしの全部を包み込みました。

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[ 2020/07/23 22:27 ] 縛られること | TB(-) | CM(-)

点鬼簿のひとたち

緊美研FANBOXというところがあります。
みなさまからご支援いただき、
いくつか設定しているプランによって、
緊縛写真や緊美研通信からの文章の再掲や、
雑誌「裏窓」のグラビア、あるいはこのブログには書けないような
わたしの文も掲載しています。
その中に「縄と点鬼簿」というものがあり、
「いまはもういない人たち」のことを、
思い出だったり、わたしが感じたことだったり、
そんなあれこれを書いているのですが、
誰かのことを詳しく想うことには、いやでも寂しさや悲しさがセットになってきます。
目を閉じて、その時のことを思い出そうとすると、
季節や色、匂いや音までもがくっきりと迫ってくるのです。
もう一度逢いたいと、そう思う人ばかりです。
声を聞き、笑顔をみて、その手に触れて温かさを感じたい。
生きているうちに、どうしてもっと話しておかなかったのか。
その人は、あのときわたしに何を言おうとしていたのか。
何に悩み、どんなことで苦しんで、何を求めていたのか。
考えてみても、どんなに想像してみても、
もう二度と、決して答えを得ることはできない。

でも、そんな風に想っているうちに、
わたしは自分自身が思いあがっていることに気づきます。
誰かを救える気になっていたのだろうか、
自分が役に立てたはずだと思っているのだろうかと。

緊美研の会員たちや、電話で何かを打ち明けてくれる人たち、
その人たちと話したこと、わたしが言ったことは、
きっと無駄ではなかったのだと思いたいです。
すべての人の心に寄り添うことなど、
わたしに出来る筈はないのですが、
それでも、迷っている人、傷ついている人、
そんな誰かにやさしくしたい。
自分自身を持て余したとき、自分でいることが辛くなったとき、
わたしと話したいと、思い出してもらえる人になりたいです。

img183.jpg
※初期の緊美研例会より モデルは広咲千絵ちゃん 熱海旅館にて

それはきっと、せんちゃん(濡木痴夢男)が
マニアの人たちのために長い年月を費やしてきたことだと思うから。
せんちゃんが死んで、ひとつの時代がひっそりと閉じて、
今はもう、色々なことが違っているのは解っているけれど、
それでも、誰かのために在るわたしでありたいと思っています。

なんだか、よくわからないことを書いてしまいました。
点鬼簿に誰のことを書こうかと考えていたら、
なんだかとても寂しくなってしまったのです。
みんな、確かにいたのに。
温かくて息をしていて、動いて話して、食べて泣いて……。
そう思うと、自分がとても死に遅れているような気がして、
何をしていたらよいのかわからなくなりそうで。
ごめんなさい。
ただの泣き言なのかもしれません。

でも、わたしは少しでもせんちゃんのいなくなった世界を
あたたかくやさしいものにしたいと、そう思っています。




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[ 2020/05/18 22:59 ] 思うこと | TB(-) | CM(-)

それぞれのきっかけ

「以前は「ですます調」でブログを書いていたのに、この頃は「~だ」に変えたのはどうして?」
スタッフの女の子に言われました。
「ですます調だと誰かに向けて書いているみたいで、
誰かが読んでくれるのを期待してるようで、なんだか自意識過剰みたいで恥ずかしいから」
そう答えると、
「それでも「~だ」とか「~なのだ」って書かれてると冷たい感じだからやめて」
と言うのです。
「冷たい」と言われれば、確かにそうかもしれません。
それに、公開しているブログで自意識過剰もへったくれもありません。
そんなことを気にするなんて、いわゆる厨二病のようで逆に不気味です。こんな歳で。
わたしは自分が気持ち悪いです。そしてそんなふうに思うこと自体も気持ち悪いです。
というアレで、今回からまた「ですます」でブログを綴ってゆきます。
どうぞよろしくお願いいたします。

縄に興味を持つきっかけは、ひとりひとりみんな違います。
緊美研の会員さんやモデルたち、
あるいはお電話やメールでこっそりと打ち明けてくれたマニアの方々。
似たような内容だと感じても、それぞれその時点での年齢、お天気や場所、
周囲の状況や匂いやその後の気持ちなど、本人にしかわからない細かい違いがたくさあります。
たいていは子どもの頃、偶然目にした雑誌や写真などに衝撃を受け、
自分が感じた得体の知れない感覚に戸惑い、もう一度目にしたい、触れたいと渇望し、
妄想だけがどんどん膨らんでひろがって、気づいたらいつの間にか「マニア」になっていた……。
という場合が多いような気はします。
でも、それらは本当は、誰かに聞かせるために事実とは違うことを敢えて話に混ぜたり、
一部分を隠したり、それらしく脚色したり、逆に事実よりもみっともない状況だった、
と自分を貶めるような内容に改ざんしたり、と本当に本当の事は本人だけの大切な、
或いは忌わしい記憶として心の中にひっそりと息づいているものなのかもしれません。
「はじまりは縄ではなく、SMだった」という人も多いです。
縄で縛ることのない、拘束しない状態での蝋涙責めやスパンキングなど、
世間一般的に知られている通俗的なSMを経験し、あとから緊縛を知って、
次第に縄が重要になっていったという人もいます。

女性では、ポーリーヌ・レアージュの「O嬢の物語」を読んで、
支配されることに憧れて……という人を何人か知っています。
緊美研のモデルでは、早乙女宏美ちゃんと扇まやちゃんがそうでした。
「O嬢の物語」は、わたしは実は読んではいないのです。
映画の予告編を見ただけで、原作の小説は紀伊国屋書店の外国文学の売り場で
表紙を見つけて手に取ったものの、パラパラと読んでみることさえしませんでした。
どうしてなのかはっきりと憶えてはいませんが、たぶん、
澁澤龍彦の翻訳が自分には合わなかったからだと思います。
早乙女宏美ちゃんとは、室井亜砂二さんの「おんないぬ」で共演し、
主人であるわたしと、その「飼いいぬ」である宏美ちゃんの無言劇がビデオになりました。
撮影は緊美研例会の日、洋風庭園のあるスタジオで行い、
藤さとみちゃんがヘアメイクを担当してくれました。
後日、宏美ちゃんから「おんないぬのきもち」という文章が届き、
それは緊美研通信四号の巻頭に掲載されましたが、
お持ちでない方のために、冒頭部を転載します。

『私がSMに興味を持ちはじめたのは中学二年の頃、
ポーリーヌ・レアージュ「O嬢の物語」を読んでからだったのです。
彼に気に入られることだけを考え、彼の望むままの行動をし、
彼が言うのならと他の男の奴隷となり烙印を押され、
それでも最後は捨てられてO嬢は死を選んだ、
この生き方こそ私の生き方だ。これは運命の出逢いに違いないと思ったのです』

宏美ちゃんが「支配されること」を自分の生き方だと思っていることは、
何度か話に出ていたので知っていました。
誰かに支配されること、支配され、その人の言うままに生きるとは、
自分では何も考えず、何も決定しないことです。
心の中では反対のことを思っていても、それを一切口に出さずに相手に従うことです。
そして、自分で自分にそれを強いることです。
わたしは、なぜ宏美ちゃんがそんな生き方を望むようになったのか、
むしろそこに興味がわきました。
子どもの頃の経験が、ある意味その人の人生を決定づけてしまうことがあります。
ずっと意識せず、思い出すことさえなかったことでも、大人になったある日、
急によみがえってそれに囚われてしまう。宏美ちゃんも、
もしかしたらそんなことがあったのかもしれません。

わたしは緊美研のモデル・スタッフとして多くのセクマイの人たちと関わってきて、
その人の縛られた姿や、あるいは女性に縄をかける様子を見ていて、
「あぁ、この人はきっと、子どものころにこんなことがあって、
それが今のこの人を形成してるんだな」
と想像することがよくありました。
何度かは、わたしが想像したことを相手に話す機会があり、
それは百パーセント当たっていました。
どう育ってきたか、どう育てられたかで、
将来どんな生き方を選択するのか決められてしまうこともある。
それが周囲の誰かの所為であったとしても、
あるいは幼い自身が招いた結果であったとしても、
人は、そういうふうに出来ていて、そういうふうに生きてゆくことしかできないのかもしれないと、
そんなことを考える機会が多い緊美研でした。

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[ 2020/05/11 00:20 ] 緊美研 | TB(-) | CM(-)

緊美研会員は性的サディストだろうか?

先日、緊美研公式Twitterに、
あるミュージシャンのブレーンを自称する人からコメントがあった。
その人によると、緊美研とは、
【精神障害や知的障害の女性を暴行し搾取するサイコパス集団】
らしい。
これを書いた人物が誰なのかはわからないし、年齢も性別も一切不明だ。
でも、わたしはなんだかある種の懐かしさのようなものをおぼえて、
こんな侮辱を受けているというのに、PCの前で思わず笑ってしまった。
これは……これはまるで
「SMとは土方(どかた)のセックスだ」
と濡木先生たちが若かったころに、大衆から蔑まれていたのと
同じようなものだ、と思ったのだ。

念のために書いておくが、緊美研に知的障害のある女性が
モデルとして登場したことは一度もない。
精神障害者としては、あるモデルに年齢確認のための
免許証その他の提示をお願いした時、
「精神障害者手帳ならありますよ」とにっこりされたことがあった。
しかし、彼女は先生のことが大好きで、緊美研の会員やわたしのことも
大好きだと言ってくれ、何度も遠くから新幹線に乗って
縛られるためにやって来てくれたのだ。
もちろん、例会の中で精神を病んでいると思わせる場面などひとつもなく、
トラブルもない。
件のコメントの人物は、緊美研がどんなところなのか全く知らずに、
ただ貶める目的でそう書いたのだろうが、
ここまで的外れなことをいわれたのには正直驚いた。
長い間、緊美研のスタッフをやってきたわたしが思うに、
緊美研会員たちは、サイコパスどころか性的サディストですらないのではないか、
と感じていたからだ。


最近は、緊美研が出来る以前のネガから古い順に、
一生懸命スキャンしてデータ化している。
なにしろ膨大な量なので、終わりなどまったく見えないし、
果たしてわたしが生きているうちに出来るのか怪しく思うほどだが、
当時よく撮影に使われていた古い旅館などで、
濡木痴夢男が女性を縛って責めている写真を、
枷井克哉さんはどんな想いで撮っていたのだろうか、と想像すると胸が熱くなってくるのだ。
ある撮影会で濡木先生に出会ったことは、枷井さんにとって
運命的な出来ごとだっただろう。
ずっと一人で胸に描いていた妄想の嗜虐的シーンを、
自分の思うままに目の前で再現することが出来るのだ。
「ここに縄を足してください」
「ウエストをもっと絞って、千切れるくらいに締めてください」
先生に指示を出しながら、苦悶するモデルの表情を眺め、
枷井さんがどんな至福を味わっただろうと想像すると、
スキャナーからモニタに表示されるモノクロの画面から、
その場にいた人たちの息遣いが聴こえ、体温さえ伝わってくる気がする。
麻縄のこすれる音、蝋涙が落ちる、ボタボタという音。
女の吐息、つま先が畳をひっかく音。
みなそれぞれ高揚し、気持ちが一つになった瞬間を感じ、
その日一番のショットを収めてカメラが置かれ、解かれた縄が畳の上にとぐろを巻く。
達成感に包まれた粗末な旅館の部屋には、
どんな輝きが満ちていたのだろうと思うと、わたしも高揚せずにはいられない。

そんな幸福な緊縛シーンは、そのまま緊美研に受け継がれていた。
緊美研で行われていたものは、通俗的に理解されている「SM」とはまったく違う。

麻縄緊縛マニアは性的サディストだろうか?
緊美研の初期からの会員は、奇譚クラブや裏窓などが発行されていた
当時からの緊縛マニアの方たちだ。
そんな緊美研会員たちが、緊縛、あるいはSMに興味を持つきっかけは
様々だったと思うが、おそらく全員が、初めて自分の嗜虐性に気づいたあと、
責めたいと思った対象は自分だったのではないだろうか。
自身のサディスティックな嗜好に戸惑い、持て余していながらも、
それに満足感と誇りも持っている。
だから自分で自分を縛り責めるような、自慰としてのSM行為は絶対にしたくはない。
だから、対象を女性に変えた。
女性の方が縛られている姿も美しいので、妄想上の自分はより美しい方がいいからだ。

厳しく固縛され、吊られ、責められているモデルを見て興奮し、
「もっと泣け! 許しを乞え!」
と胸の中で思いながら、
「あぁ、なんて可哀そうに。なぜあんな酷い目に遭わされなければならいなんだ」
と、一つの心の中に責める自分と責められる自分が常に同居し、
せめぎ合いながらも、それは文字通り「糾える縄の如く」縒り合わさった麻縄のように、
くるくると交互に現れ、そしていつしかそれぞれの区別がつかないくらいに溶け合ってゆく。
妄想こそ最高の快楽だと、緊美研の人たちはみな知っていた。




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[ 2020/03/21 19:55 ] 緊縛美研究会 | TB(-) | CM(-)

みんな傷ついた子どもだった

そっと振り向くと、ちょっとオシャレをしたおばさんたちが大勢いる。
その中で、ある一箇所だけがほわんと明るく、華やかに見えた。
そこにいたのは、わたしの母。
ずらりと並んでいるクラスメイトのお母さんたちの中心で、
背筋を伸ばして美しく立っていた。

わたしはこっそりと母を盗み見る。
目が合わないように、母がよそ見をしている隙にコソコソと見るのだ。
ああ、やっぱりママは綺麗。
うちのママが一番美人だ。
と嬉しく誇らしい気持ちと一緒に、授業の後のことを考えて憂鬱になる。

「悠理ちゃんのお母さん、すっごくキレイだね」
「親子なのに似てないね」
「ほんとのお母さんなの?」
意地悪な女子たちがまとわりついてきてうるさい。

あんたたちのお母さんがブスなのは、わたしのせいじゃないもん。
心の中でそう言って、ひとりで廊下に出る。

小学校低学年のときの授業参観は、いつもこんな感じだった。
ママが来てくれるのは嬉しい。
でも、あの人はとにかく目立つのだ。
何もしていなくても、華やかないい匂いを放つように、
自然と人の目を惹きつける。
だから本当は、学校の誰にも母を見せたくはなかったのかもしれない。
自分のママが綺麗なことが、
その母に似なかったことが、
子どもだったわたしをとても傷つけた。
でも、六歳の女児にもプライドがある。
自分が母のように美しく生まれなかったことは悲しいけれど、
そんなことを口に出しはしない。
そんなことを言えば、もっとみじめで傷つくのは解っている。
だから逆に目立つ行動をするようになっていったのかもしれない。モデルとかね。

そんな母も、戦争を経験している。
十一人きょうだいの三番めに生まれて、
兄・姉・母だった。
すぐ下の弟は、病気で小さい頃に亡くなった。
そのことは母がおばあさんになってからも、ずっと母を傷つけていた。

長男がなにより大事にされる時代だった。
わたしから見ても、何のとりえもないような使えない男。
伯父は、あかちゃんの頃に祖母の姉に預けられた。
祖母の意思ではなく、子どもに恵まれない姉に望まれて断れなかったのだ。
そんな後ろめたさもあって、伯父が戻ってきてからの祖母は、
娘たちやその他の息子たちの誰よりも、伯父を優先した。
母が成績が良いからともらった服地で、
自分と姉のワンピースを祖母に縫ってもらうのを楽しみにしていた。
でもそれは、伯父の服を作るために奪われた。

小さい頃にきょうだいたちと離れて暮らしていた伯父は、
本当の家族の元に戻っても、よそ者のような居心地の悪さを感じていたのかもしれないと、
今になって思うが、わたしもその伯父が大嫌いだった。
母や伯母たちにはものすごく厳しく、
流行歌を口ずさんただけで頬を叩かれることがあったという。
それが、自分が結婚して娘が生まれたら、妻と一緒になって
「りったん、りったん」
と赤ちゃんを呼びながらデレデレする。
叔母たちは、みんな怒っていた。
「私たちにはあんなにうるさかったくせに」
と言って、悔しがった。
でもそれはきっと、少女のころに祖母から望むように愛してもらえなかった恨みだ。
それを、長兄を嫌うことにすり替えていた。
その悔しさ、悲しさを本当にぶつけたい相手は、祖母。
自分たちのお母さんだ。

昔(戦争のころ)は、今とはまったく違い、親や大人はただそれだけで「偉かった」。
子どもたちは口ごたえせず、不平不満を言わず、みんな家族のために何かを我慢していた。
みんな傷ついて、誰にも言えなくて、
その傷を抱えたままで大人になった。
わたしと同世代の人たちにとっても、親はまだまだ大きな存在だったと思う。

あぁ、結局なにを書きたかったんだっけ。

子どものころに親から傷を受けなかった子どもなんているのだろうか。
きっと、みんな親が死ぬころになって思うのかもしれない。
「あの時、かなしかったな」「つらかったな」「もっと愛してほしかったな」
でも、それでも大人になっているから、
親のこともわかってしまう。
当時の親の都合。両親も、そのころはまだ親としては幼かったのだ。
そして、恨む気持ち以上に親を愛している自分も知っている。
そうやって、綿々と受け継がれてゆく悲しみというか、
みんなの我慢や悔しさを想うと、
わたしはちょっとつらい。



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[ 2020/02/10 02:00 ] 思うこと | TB(-) | CM(-)

雨の日に触れた小さな手

年末の12月23日、午後から冷たい雨が降った。
傘をさして外出した帰り、もう少しで家に着くというところで、
横断歩道の向かいで信号を待っている子どもに気づいた。
8歳か9歳くらいのその子は、ちゃんと黄色い傘を差していたけれど、
とつぜんよみがえった古い記憶に、わたしは胸がきゅうっと縮まるような気がした。

調布に住んでいた頃、自宅から駅に向かう途中に「布多天神社」という神社があった。
家を出てマイクロソフトのビルの前を通り、お豆腐屋さんの角を曲がった突き当りに、
布多天神の塀が見えてくる。
塀の手前には小路を挟んでお寺があった。
こちらも黒く高い塀で囲まれていて、両方の境内にある高い木が大きく枝を張り出していたので、
夏の昼間でも影が濃くてうす暗い。
まぶしい日向からこの路に入ると、確実に気温が低くなっているのを感じた。

その布多天神の参道を通って調布駅に向かおうとすると、
甲州街道を渡る信号がある。

二十年以上前の梅雨の蒸し暑い日、傘をさして赤信号で止まっていると、
向かいの歩道に雨に濡れている小学生の姿があった。
黒いランドセルを背負ったその男の子は、白い顔をぼんやりとこちらに向けている。
緊美研の事務所に出勤するところだったが、
まだそれほど急いでいるわけでもないと、その子が渡ってくるのを待って、
傘に入れて家まで送ることにした。
今なら、誘拐を疑われてしまうのかもしれない。
同じマンションに住む子どもに、エレベーターの中で挨拶をしてもいけないらしい。
でも当時はまだ、それほどギスギスした社会ではなかった。

「濡れてるね。風邪ひいちゃうからお家に送ってあげる」
そう話しかけると、男の子は少し恥ずかしそうに上目遣いでわたしを見て、
そっと傘に入ってきた。
そろばん塾が一階にある低いビルを過ぎ、畳屋さんの前を通って布多天神の前まできたところで、
ここからどう行くのか訊ねた。
男の子は左を指す。
わたしの家は右の方だったので、そちらに行くのは初めてのことだった。
布多天神の向こう側はどうなっているのだろう、という興味もあったが、
ややショタ気味のわたしにとって、少年とひとつの傘に入って歩く雨の道は、
日常では味わえない不思議な感覚に包まれていた。
その道は、広い竹林と神社の間を通っていて、住宅はすぐには見えてこない。
気のせいかちょっと薄暗く、小さな子どもが一人で歩くには、
怖いようなところだった。

今日は学校で何をしたの? 
給食はなんだった?
などと話しかけながら歩いているうち、
「この子を送ってから、一人で戻るのは怖いなぁ」
と思い始めていた。
ふいに、傘を持っていない方のわたしの手に、少年が小さな手を絡めてきた。
冷たくて小さな手。
知らない大人の手を握る少年の想いが、
わたしのからだに入ってくるような気がした。

さみしいんだね。
いつもひとりなの?

声にはださずに少年を見下ろすと、
彼もわたしを見上げていた。

ふふ、と愛らしく口元を緩ませて、きらきらした無邪気な瞳を向けてくる。

わたしはその小さな手を握りかえして、子ども同士のようにつないだ手を振って歩いた。
三分くらい歩いていくと、ようやくぽつりぽつりと住宅が見えてくる。
「ぼくの家、すぐそこだよ」
少年の手は、すっかり温かくなっていた。
「ここでいいよ。ありがとう」
するっ、と音がしたような気がした。
少年の手がわたしの手のひらを滑りおちて、ひらひらと離れてゆく。
「気をつけてね」
短く声を掛けて、住宅地に吸い込まれる少年の背中を見送った。
どこの玄関に入ってゆくのか、なんだか見てはいけないような気がしていたが、
二、三歩あるきはじめたところで振り向くと、少年は、もうどこにもいなかった。
消えた……?
怖がりのわたしは、全身に鳥肌をたてながら急いで歩こうとしたが、
思うように足が動かない。
温まっていた手のひらは、梅雨だというのに氷のように冷たくなっている。

やだ、見ちゃったのかな……

ショタ萌えだけど、心霊体験はいやだよぅ、と思いながら
なんとか畳屋さんの前まで来ると、
フッと足が軽くなり、普通に歩けるようになっていた。

さっきまで触れていた、少年の小さな手を思い出しながら、
お化けでも、白くて美しい貌だったからいっか、と一人でわらう。

その年の冬、もう一度同じ状況で少年と会った。
彼はわたしを憶えていて、挨拶をしてくれたが、
普通の元気そうな小学生だった。
あの雨の日の、不思議な雰囲気はなんだったんだろう。

緊美研の例会で、高く吊られてポーズを変えているとき、
自分の身体を上から見ている感覚にとらわれることがある。
反対に、逆海老で吊られたわたしが、自分の上に私自身を見ることもある。
ある時、あの少年の白い貌がわたしを見下ろしていた。

あぁ、そっか。
そうだったんだね。

小さな白いその貌を見上げながら、
ウエストに食い込む縄にさらに体重をかけようと
わたしは身体をひねる。
せんちゃんが縄を足す。
わたしの髪をつかんでぐいぐいと引っ張って振る。
わたしは布多天神に咲く、白梅の香りを感じる。
そして、いつもそうであるように、
わたしの身体を離れた魂が、時間も場所もめちゃくちゃなどこかに
ふわふわと漂っていくのをぼんやりと見送りながら、
圧倒的な麻縄の匂いに包まれて、ぎゅっと目を閉じる。
そのとき、あの小さな冷たい手がわたしの頬に触れた。

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[ 2020/01/25 04:28 ] おもいで | TB(-) | CM(-)

長老の可愛らしさ

緊美研FANBOXで 「女囚のすすめ ① 長谷川年郎」を掲載した。
これは緊縛美研究会がはじまった当初から参加されていた、
最年長と思われる会員・通称「長老」によるものだ。
「長老」と呼び始めたのは濡木痴夢男で、次第に他の会員やモデルたちも
同じように長老と呼ぶようになったが、
わたしはずっと「○○さん」と彼の本名で呼んでいた。

はじめ、濡木痴夢男は長老のペンネームを
「長田年郎(おさだとしろう)」にしようと言ったのだが、
「いや、待てよ……。オサダだと長田ゼミナールと同じになっちゃうな」
と言い出し、同じ「長」の字ではじまる「長谷川」に変えたのだ。
「長田年郎」にしたって、長田ゼミナールの長田さんだと思う人なんていないと思うが。
とにかく、一文字目が「長」で最後が「郎」。
すなわち「長老」……という、いわゆるオヤジギャグ的につけられたペンネームだった。

当の長老は、けっこうこの名前が気に入ったようで、
みんなから長老と呼ばれてにこにこと嬉しそうだった。
これには、あとで思い当たるできごとがあった。
昔、SM雑誌等が厳しく検閲されていた時代のことを話していた長老が、
「あんたなんかはまだ生まれてなかったから知らないだろうけど」
と、不二秋夫カメラマンに得意げに言っていたことがあり、
わたしは
「そうか、SMの研究会として現在こうして活動できるのも、
先人たちが公権力と戦ってきてくれたからなんだ」
と、そう思ったのだが、不二秋夫は、長老には聞こえないように
「生まれてないもんはしょうがねえじゃん。
じゃああんたは死んでからのことがわかるのかよ」
とブツブツ文句を言っていて、ああ、この人はなんという……と
ちっょと情けない思いをしたのだ。
だから長老は、緊美研の中で一番古くから、一番長い間SMとともに生きてきたのは
自分なんだという自負があったのだろうな、と思うと、なんだか可愛くて仕方がない。
そんな長老が驚くような出来事は、それから10年ほど経った頃に起きた。
「伊藤晴雨の撮影会に参加していた」
という方から連絡があり、次の緊美研例会に来られるというのだ。
その日、長老は朝から元気がなく、なんとなくソワソワしていた。
自分より先輩だと思われる人と対峙するのが、すごく嫌なのだろうな、と思った。

長老はそれまでに三回結婚し、三回とも、隠し持っていたSM雑誌やその他の資料などを
妻に見つかり、焚書にあって離婚している。
それはきっと、妻よりも、結婚生活よりも、SM資料が大切だったということではないと思う。
他者の嗜好を、一切の説明も訊かずに「穢らわしい」と焼き捨てる女性に、
人間としての信頼を失くしてしまったのではないだろうか。
現代なら、笑って見せ合えるものかもしれない。
でも、昔はそんなことはなかった。
「変態」
「変質者」
「異常者」
「気持ち悪い」
と避けられてしまうようなものだったのだ。
だからと言って、現代の風潮が良いとは思わない。
こっそりと隠れて、誰にも見つからない場所に隠して、
後ろめたさや恥ずかしさにまみれながら、
それでも魔力に憑りつかれたようにやめられない。
そんな、危険で「やばい」魅力がSMにはあった。

いかがわしくて妖しい。
それでも手を出すなら、覚悟がいるよ……
そんな感じ、今の若い人には理解できないんだろうな。

長老の「女囚のすすめ ②」は、近日掲載します。
お楽しみに。



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[ 2019/12/12 00:37 ] 緊美研 | TB(-) | CM(-)
プロフィール


春原 悠理 Youri Sunohara

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濡木痴夢男の緊縛美研究会の主宰です。
好きなもの:ねこ、チョコレート、雑多な読書、映画鑑賞

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